その1、なぜドイツへ?はこちら。
その2、フランクフルト空港乗り継ぎ編はこちら。
ベルリン2日目・3日目・4日目。
1日目は日本からベルリンへの移動で終了。2日目から観光です。
↓ホテルでの朝ごはん。う、美味い…。
超美味しい。
何が美味しいって、このドイツパンにバターをたっぷり塗り、サラミやらチーズやらいろいろ乗せて食べるのが美味しい!サラミが美味しい!
生ハムやソーセージ、チーズも数種類。生ハムをそのまま食べたらしょっぱくて美味しくなかったですが、パンに乗せるとマジ、美味い(語彙力)。みなさん、朝ごはんには、絶対これやっていただきたいです。
2日目は、日本語ガイドさんをお願いしていました。もう40年もベルリンに住んでいて、1989年のベルリンの壁崩壊時もベルリンにお住まいだったそうです。当時のいろんなお話を聞くことができました。
ホテルを出発。
早速、ベルリンの壁へ。
ガイドさんに連れられて、電車を乗り継ぎ、ベルリンの壁が残っている場所へ。
バスや電車に一日乗り放題の「tages karte(ターゲス・カルテ)」を購入。7ユーロ。駅の券売機で買ったり、バスの運転手さんから買えます。
↓券売機で買ったやつ。
↓乗車前に、電車のホームにある刻印機に差し込んで、刻印する必要があります。これを忘れると、無賃乗車とみなされて罰金を取られてしまうそうな。
↓バスで買う場合には、乗り込む時に運転手さんに「Tages karte, bitte.」と言うと「Sieben euro.」(7ユーロです。)と言われるので支払うと、ビビビ、と切符を印刷してくれました。
ベルリンの壁ってどこにあったの?
この度調べるまで知らなかったんですが、ベルリンの壁は、東西ドイツの境界にあるのではなくて、東ドイツの中にあるベルリンの中で、西ベルリンを囲むようにしてあったものなんですね。え?どういうこと?絵で書いてって?承知しました。
↓かなりざっくりですが、東西ドイツに分かれていて、東ドイツの中にベルリンがある図。
↓東ドイツの中に西ベルリンがある図。赤い太線が、ベルリンの壁です(わたしのざっくりな線です)。
つまり、西ベルリンは、東ドイツの中に飛び地としてあったようなかんじ。
壁を越える、というのは、東ドイツから逃げたい人たちが、壁で囲われた西ベルリンの中に逃げ込む、ということなんですね。
正確と思われるベルリンの壁があった境界の図はこちら→berlin-wall-map.pdf
↓で、まずはじめにこの辺りに行きました。
この辺りは、観光地化した別の場所、イーストサイドギャラリーとは違って、ベルリンの壁の歴史を知ることのできる展示や施設があります。
↓実際の壁が残っているところ。
↓壁自体はない場所でも、レンガで跡が残っています。「Berliner Mauer」。直訳で「ベルリンの壁」。ベルリンの壁は1961年に作られ、1989年に崩壊しました。
↓この施設では、階段を登って上からベルリンの壁の作りがよく見えます。
↓ベルリンの壁は、実は二重になっていたんですよ…。知らなかった…。
向こう側が東ベルリン。
いわゆるベルリンの壁の前に、もう一枚の壁が立ちはだかっています。その壁を越えることができたとして、次なる試練は地雷・銃殺ゾーン。監視塔でずっと見られてますし、警察犬もパトロールしていたとか。そこを通り抜けてやっと、ベルリンの壁です。いやー…。すごい。
↓途中で撃たれて亡くなった方の碑。
Bernauer Straße(ベルナウアー通り)というこの辺りはちょっと特殊だそうで、人が住む建物が、東西ベルリンの国境だった場所だそうです。
↓その図。
東西ドイツに分かれたのが、第二次世界大戦後の1949年。それから壁が建設され始めたのが1961年なのですが、壁建設当初、やばい、と思った建物の住人たち(東ベルリン側の人たち)が建物の窓から西ベルリン側に脱出したそうです。
↓その図。ロープを下ろしたり、かなり上から飛び降りています。
その後すぐ、この建物の窓はレンガで埋められ、さらに建物自体、取り壊されて壁が建設されました。建物はもう今はありません。
↓窓を埋めている図。
↓壁を境に、手を振る家族。家族や親戚、友人が分断されてしまいました。
上からダメなら下からだ、ということで、トンネルも掘られました。
成功例もいくつかあるようで、57人が助かった「トンネル57」とか、同じく「トンネル27」などがあるそうです。映画にもなったそうです。
壁ができる前からもともと通っていた地下鉄も、西ベルリン→東ベルリン→西ベルリン→と通るような路線は、東ベルリンの駅では降りられないようになっていたそうです。
↓駅構内に入れないようにここで閉じられていたという、駅。
↓このように、建物の壁に当時の様子が描かれています。
この人は有名人。一番最初にベルリンの壁(最初は鉄条網でした)を越えた人だそうです。しかも東ドイツ軍の軍人。
この写真は「自由への跳躍」と呼ばれていて、お土産用のマグネットにもなってます(買った)。
動画も発見。胸熱。動画だと一瞬ですね。
いろんなことがあったんですねぇ…たたずむらぷる。
ここで「らぷるを探せ!」をやろうと思ったんですがわからなさそうなので答え教えちゃいます。
イーストサイドギャラリー。
ところ変わって、別なベルリンの壁スポット。こっちはもっと観光地〜!というかんじ。落書きがすごい。
かなりの長い距離、アーティスティックなベルリンの壁が続いています。
↓演奏してる人もいます。
↓こんなのとか
↓こんなのとかが続いています。
↓日本地区への迂回路。…?
↓らぷる。
↓「こっちには有名な接吻の画が…」とガイドのYoshikoさん。接吻。ほほう。
↓接吻とらぷる。
↓で、こういう観光客が集まるところにはバクチの詐欺集団(?)がいるから気をつけて、とYoshikoさん。周りに集まっているのはサクラで、観光客がやってみると絶対勝てないそうです。本当は禁止されているそうですが、どこにでもいました。
「No picture!」と言われた。撮ったけど…。
チェックポイントチャーリーへ。
ベルリンの壁には、東西を抜ける検問がいくつかありました。そのうちの有名なのがここ「チェックポイントチャーリー」。
チャーリー(Charlie)とは、この写真の青年の名前ではなくて、航空無線用語でA、B、CのCを表すものだそうな。なので、「チェックポイントチャーリー」とは「チェックポイントC」というような意味。
ちなみにAはAlfa(アルファ)、BはBravo(ブラボ)だそうです。(壁地図。→berlin-wall-map.pdfチャーリーは真ん中あたり、左下にブラボがありますね。)
↓ここから先はアメリカンセクターを離れますよ、という注意表示。
はー、なんかすごい。Yoshikoさんも、当時西から東へ通ったことがあるそうです。通るのにはお金がいるそうです。さらに、持っていったお金は東で使い切らないとだめだったそうですが、東側では買うものがなくてその辺にいる人にあげたりしたとか…。ははぁー。
↓「YOU ARE LEAVING THE AMERICAN SECTOR」のエコバッグを買った。
目的はプルーンです。
そうそう、今回の旅の目的はプルーンです。忘れるとこだったわ。
Yoshikoさんがいくつかお店をチェックしておいてくれました。
と、いうところで、ドイツの食編は次回に続きます。→https://shikanai.co.jp/5067/