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「旅するらぷる」第十回!「新寺町稲荷神社」には兄弟神社がいた。

みなさんこんにちは!鹿内です。

「旅するらぷる」も今回で10回目となりました。店頭でも「見てます!」という声をいただくこともあり、見てくださる方がいるんだなぁと嬉しくなります!

↓手足の生えたらぷるちゃん「らぷる」のTwitterに生息中。

10回目という節目ですが、いつもどおりやってまいります。

「旅する」といいつつ、もはや散歩とさえ言えない距離ですが今回の旅先は「新寺町稲荷神社」です。

あの赤い鳥居の神社。

しかないせんべい本店へいらしたことのある方でしたら、あの「赤い鳥居の神社」と言えばおわかりになるかと思います。

しかないせんべい本店の隣に立ち並ぶ鳥居。と、らぷる。

この立ち並ぶ赤い鳥居、写真を撮る方も多くて、とても風情があります。

ただ、以前からしかないの間では話題になっていたのですが、この鳥居、だいぶ老朽化が進んでいて、本数も減っているんです。

↓よく見るとお肌がかさついていて、傾いているものもあります。ちなみに数えてみたところ、ただいま鳥居の本数は26本

そこで、鳥居を建てる募集のWebページでも作ったら?という話が上がったのですが、ちょっとその前に「新寺町稲荷神社って、どんな歴史があるのさ?」と思って調べてみました。

新寺町稲荷神社はいつ、誰が建てた?

その歴史はさかのぼること300年以上。新寺町稲荷神社は江戸時代の創立です。4代目の津軽藩主信政の意向で、宝永5年(1708年)に建てられました。

さらに関係しているのが東京浅草の浅草寺

かつて浅草寺の境内にあった「熊谷稲荷」という稲荷神社から勧請(かんじょう=神様を分霊してまつること)してきたのがここ「新寺町稲荷神社」なのです。

 

なぬ!浅草寺が関係してるの!?そうなのー!?

 

この、浅草寺境内にあった「熊谷稲荷」という神社は、「熊谷安左衛門」という人が建てた神社。

明治の神仏分離の時に浅草神社に合祀され、今は現存しません。

 

なぜ「熊谷稲荷」なる神社がここ弘前へ?と思い、熊谷稲荷について調べてみました。

「熊谷稲荷」物語。

主人公熊谷安左衛門、本名は山本武頼さん。

この方のおじいさんである武了さんが「宗林」という狐を助け、伝教大師(最澄)からご先祖に伝わるお守りを貸してやったのが事の始まりです。

その狐一族はそれから山本家を代々守ってくれていました。

武頼の代になったとき、近くに住む長右衛門という町人が狂ってしまい、刀を振り回して誰にも止められない、ということでその両親が武頼を頼って尋ねてきました。

武頼は、きっと狐のせいだな、と思って長右衛門に会いに行き、とり憑いた狐をおとしてやりました。

するとこの狐は宗林一族「宗庵」の息子の狐「宗弥」でした。

 

狐の宗弥は、この長右衛門が大変な無礼を働いたので憑き殺してやろうと思っていたところでしたが、ご恩のある山本家の武頼の仰せには背きません

 

武頼は宗弥の話を聞いてやり、立ち退くよう言って聞かせました。宗弥は立ち退く代わりに、祠を建ててはもらえないか、と願います。

武頼はその願いを聞いて浅草寺境内に祠を建てたところ、長右衛門は夢が覚めたように正気に戻りました。

この一部始終を多くの人が見ており、人々はこの祠を「熊谷安左衛門稲荷」と唱えて参詣した、ということです。

で、それが新寺町稲荷とどういうご関係で?

そして熊谷稲荷はたいへん栄え、江戸では流行の稲荷となり、熊谷稲荷のある土地は繁盛する、と言われたそうです。

弘前市新寺町にあるお寺、貞昌寺の和尚、入誉は熊谷安左衛門の弟子だったことにより、この神社を貞昌寺内に祀りました。

藩主家や領地の繁栄を願った4代津軽藩主信政は、「熊谷稲荷のある土地は繁盛する」という言われにあやかってこれを認め、宝永5年(1708年)に新寺町の今の場所に勧請した、という経緯です。

 

さらに当時は神仏習合のために、神社と一緒にそれを管理するお寺(別当と言います)も建てられており、そのお寺は「白狐寺」というお寺でした。なまって「バイコウジ」のお稲荷さんなどとも呼ばれていたそうです。そんなお寺があったのか…知らなかった…。

境内にある看板にも「白狐寺」の記載があります。

「白狐寺」は、新寺町児童館があった場所に建っていたそうです。明治の神仏分離の際に廃寺となり、現存しません。

それで、新寺町稲荷の兄弟とは?

本ブログの表題に戻りますが、浅草寺にあった「熊谷稲荷」はいわば、新寺町稲荷神社のお母さんみたいなものかな?とイメージできます(本来、神様は分祀しても元の神様と同じ働きをするそうですが)。

 

そして同じく熊谷稲荷から勧請した神社が、東京台東区にある日蓮宗のお寺「本法寺」さんにある「熊谷稲荷」なのだそうです。本法寺さんWebページがこちら

 

ということはこちらの本法寺の熊谷稲荷さんは、新寺町稲荷の兄弟ですね!!!とイメージしたわけです。

 

↓なるほどね…。と狐も言っているような気もする。

しかないせんべいへお越しの際は「新寺町稲荷神社」にもどうぞ。

と、いうわけで、わたしも小さい頃から慣れ親しんでいる「新寺町稲荷神社」

こんな歴史があったなんて、まったく知りませんでした。

熊谷稲荷がある土地は繁盛するということで、しかないせんべいのこれからの繁栄、ご来店いただくみなさん、新寺町近隣のみなさんの健康をお祈りいたしましょう。

↓拝殿。よろしくお願い申し上げます!

「鳥居を建てる」サイトも作っちゃいました。

最初にちょっと触れた、鳥居を建てるWebページ。簡単ですが作っちゃいました。ぜひ繁栄させたいものです。

3,000円から鳥居建立にご協力いただけます。

https://shinterainari.stores.jp/

いろんなコラム的なものも書いて充実させていきたいなーと思っています。どうぞご覧ください!

らぷる。

「旅するらぷる」第十回、いかがでしたか?本法寺さんにも行ってみなくては!

「らぷる」商品ページはこちらです!

追記:本法寺さんに、立ち寄ってみました。

2020年1月某日。ちょうど東京へ行く予定があったので、台東区「本法寺」さんに行ってみました。

地下鉄銀座線「田原町」駅を降りてすぐです。

「熊谷稲荷」とも書いてあります。

↓ご案内を読むと、熊谷稲荷の由来が書かれています。

「東北の弘前の津軽藩公が祀った」稲荷のことにも言及がありますね!

詳細な説明書をもらえるそうですが、人がつかまらなくてもらえず。また今度行こう。

↓こちらが熊谷稲荷と思われる。

↓おおー。安左衛門さんの、廟と書いてある。

↓何と書いてあるか読めません…。が、熊谷安左衛門さんのお名前は読める。

↓他にも、戦時中に自粛を強いられた落語に関係する、「はなし塚」という塚もありました。

熊谷稲荷の詳細な説明書をもらいに、また行きます。

 

——参考資料——–

市史ひろさき年報8「津軽信政の稲荷信仰について」篠村正雄